星野村平和公園WPPC

  1. 日時:2000年8月6日(日) AM10:00~11:30
  2. 場所:福岡県八女郡星野村 星野村平和公園
  3. 内容:星野村WPPC
  4. 報告及び感想
    • 炎天下、村役場主催の慰霊祭に続き、93名の参加で行なわれました。
      星野村は八女茶の中でも極上の星野玉露で有名な、静かな山あいの村です。(午後、子供達が楽しそうに川で泳いでいました。)
    • このWPPCの代表者である日野ご夫妻達の長年のご努力が実って、村役場主催慰霊祭の後に、開催の運びとなりました。毎年、村祭りや日にちをずらしてのWPPCを行なってコンタクトを取ってきましたが、今回はじめて8月6日広島原爆記念日の式典の後にさせて頂けることになったものです。
    • この平和の広場でのWPPCは1996年に続いて、2度目となりました。今回は来賓の方々もフラッグを持ってご参加下さいました。
    • 緑豊かな小高い丘の上にお茶の文化館と隣接して平和の広場があります。この広場に三角形の平和の塔が広島の方角を向いて立っており、頂点の三角形の部分に原爆の火が灯し続けられています。塔の前には水を求めて亡くなった方々の為に、きれいな湧き水が捧げられています。
    • 「原爆の火」を持ち帰られた山本達雄さんは体調が不調で静養中とのことで、代りに作務衣、剃髪姿の息子さんの山本拓道さんがご出席下さいました。
    • 山口からお越しの近藤教授のご挨拶
      「無限なる叡智としての無限なる宇宙へ向かう大きな祈りです。また、今日は広島を中心に、世界中でこのようなWPPCが行なわれており、グローバルな祈りとなっています。」
      に、応えるように来賓の方々は、
      「村役場の者の立場として、こちらがやるべき事をしていただいて、深く感銘を受けました。」
      「小さな村から世界中に平和を発信できる事は喜びです。」
      「平和の式典に世界の国々の国旗を使って、一国一国を身近に感じながら祈れて、良い一日を過ごせました。国旗に感動しました。」
      「今日は平和の広場から世界中に向けてお祈りが出来て、大変力強く感じました。」
      「暑い中を準備なども大変だったと思います。毎年とは言いませんが、せめて1年おきににでも、このような式典を開いていただきたい。」
      と、口々に感動と喜びの感想を語って下さいました。
    • 近くの小学生が制服姿でフラッグベアラーを務めてくれました。献花や琴の献曲(古典と新曲・・平和と調和)も雰囲気を盛り上げてくれました。
    • 後で来賓の方々とお話をする機会がありましたが、「どの国も平等に一国一国大切に祈るという事は素晴らしいですね。」と、財団やソサエティーのパンフレットを熱心にご覧になっていました。
    • 山本達雄さん拓道さん親子とは、当初から「原爆の火のおかげで、いろいろな団体と関わりを持ってきましたが、純粋に世界の平和だけを祈っている素晴らしい団体。」という印象を持って下さって、信頼関係が築かれているようです。
      (上杉ちゑ子さん)
  5. 星野村の原爆の火について(Asahi.comの記事)
     福岡県星野村在住の山本達雄さん(84)は原爆投下時、広島市郊外の部隊にいた。投下後まもなく救援に入り、被爆。9月に除隊して帰郷する際、広島で書店を営んでいた叔父の店へ足を運んだ。建物は焼け、地下ごうで火がくすぶっていた。多数の人々を焼き殺した火に憎しみがわき、祖母のくれたかいろに灰をこすりつけて持ち帰った。
     祖母は叔父の形見代わりに火を火鉢で絶やさず、家族もかまどや仏壇などにともし続けた。山本さん宅で燃え続ける火の話を知った村は、火を「平和の象徴」として守ることにし、1968年、役場の敷地に建てた灯ろうをかたどった「平和の塔」に移した。95年、小高い丘の上の公園に新しい塔をつくり、毎年8月6日、火の前で原爆犠牲者を追悼している。
     山本さんは「無念の死を遂げた多くの人の平和への願いが込められた火が、いまも生き続けているのは夢のようです」と話す。

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