ドイツ キール市

  1. 概要
    • 主催:キール市
    • 日時:2001年8月6日(月)午後7:30~9:00
    • 会場: ヒロシマ公園
  2. プログラム
    • 司会のシュターン氏(ヒロシマ・イニシアチブ)の挨拶
    • 市長・カティー・キーツァー女史の挨拶
    • 反核法律家協会のレナーテ・ロイプケ女史の挨拶
    • キッズ・フォー・ピース(イギリスの青少年合唱団)の歌
    • ピースポールの除幕式
    • フラッグセレモニー
    • World Peace Prayer Society 中澤英雄氏のスピーチ
    • キッズ・フォー・ピースの歌
    • 灯ろう流し(公園に隣接する小キール湖)
  3. 行事写真

  4. 地元新聞「キーラー・ナッハリヒテン」(Kieler Nachrichten)の記事(2001年8月7日)
  5. 地元新聞の Kieler Nachrichten。すべての国々の国旗と「地球旗」が国際少年キャンプの子供たちによって振られた。  (和訳は下記参照)

    地元新聞の Kieler Nachrichten。すべての国々の国旗と「地球旗」が国際少年キャンプの子供たちによって振られた。
    (和訳は下記参照)


     平和のための国旗と蓮の花

     本来は光の海が花咲くはずであった。しかし、聖ペテロはまたしても適切なタイミングの感覚を失した(注:ドイツには、聖ペテロが天候を司る聖者であるとの俗信がある)。そのため、紙で作った蓮の花は、21時ころに水に浮かべられる前にもう濡れていた。昨日、約200名の人々がヒロシマ公園に集まったのは、様々な行動によって核兵器の廃絶を訴えるためであった。

     行事では、歌や紙細工によって、1945年8月6日と9日の広島・長崎への原爆投下のような核惨事が二度と繰り返されてはならない、という意志が表明された。記念行事が始まる前に、参加者は水に浮かべる蓮の花を紙で作っていた。アメリカによる両都市への原爆投下以来、日本では毎年、光を灯した蓮の花が、両都市を流れる川に浮かべられ、犠牲者が追悼されているのである。

     市長のカティー・キーツァーと「国際反核法律家協会」(IALANA)のレナーテ・ロイプケは、「連帯の輪を年々拡大すること」がいかに重要であるかを再度強調した。行事にはイギリス東サセックスの青少年合唱団「キッズ・フォー・ピース」が音楽演奏を添えた。

     「国際子供サマーキャンプ村」の14カ国48名の子供たちも、紙細工を作り、国際的連帯を示すために参加した。「これはよい行事です」と、イギリスのシェフィールドから来た11歳のエイダン君は言った。

     カティー・キーツァーと、広島からの代表団の団長である中澤英雄教授は、ヒロシマ公園にピースポールを「植樹」した。ピースポールは、1955年に日本で設立されたWorld Peace Prayer Societyという国連NGOが推進しているプロジェクトである。1976年以来、世界中の170カ国に20万本以上のピースポールが建立されてきた。

     World Peace Prayer Societyはまた、感動的な、しかし残念ながら雨に見舞われたこの夜の特別なクライマックスをも演出してくれた。フラッグセレモニーによって、国連加盟国の幸福と平和が祈られたのである。8月6日には広島市でも、原爆ドームのそばで同じ行事が催される。広島市市長・秋葉忠利氏もそれにメッセージを寄せた。彼はキールにもメッセージを寄せ、それはカティー・キーツァーによってスピーチの中で朗読された。


  6. 秋葉忠利・広島市長のメッセージ
  7.  キール市長 様
     キール市において「ヒロシマデー」の行事が開催されるにあたり、一言メッセージをお送りいたします。

     56年前の被爆の体験から、ヒロシマとナガサキは今日まで、絶望の淵から甦った被爆者たちを先頭に、核兵器の廃絶を世界に訴え行動してまいりました。多くの人の努力により、3度目以降の核兵器使用が阻止されてきたことは大きな成果でしたが、20世紀中に核兵器の全廃をという私たちの願いは、残念ながら実現に至りませんでした。

     今世紀には何としてもこの悲願を達成するため、私たちは被爆の実相を世界にさらに広く伝え、核兵器廃絶を求める世論を一層高めていかなければなりません。そのためには、各国政府の努力はもとより、都市や市民のレベルにおいても、国家を超えて連帯の輪を広げ、核兵器廃絶を求める国際世論を高めていくことが重要です。

     その意味で、毎年貴市の「ヒロシマ公園」において世界平和祈念式が開催されていることは誠に意義深く、関係者の皆様方の平和への取組みに深く敬意を表します。

     このたび「ヒロシマ公園」内に建立されるピースポールが、キール市民をはじめ多くの人々に核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向けた連帯の輪を広げる拠点の一つとなり、ポールに記された「世界人類が平和でありますように」という願いのもと、キール市民と広島市民の友好がより一層深まることを期待しております。

     終わりに、貴殿の今後ますますの御健勝と貴市のますますの御発展をお祈りいたします。

    平成13年(2001年)8月6日
    広島市長  秋葉 忠利


  8. World Peace Prayer Society 中澤英雄氏のスピーチ
  9.  カティー・キーツァー市長様、ご来賓の皆様、ご参加の皆様、日本人参加者一同を代表いたしまして、まず最初に、本日ここヒロシマ公園において、このように立派な平和行事を開催してくださったことに、心より感謝申し上げます。この行事に出席できますことは、私どもにとりまして大きな喜びであり光栄であります。

     数ヶ月前、ドイツの知人のダグマー・シェーラーさんから、キールにヒロシマ公園という名の公園があるということを聞いたとき、私は最初たいへん驚きました。そのようなことはまったく予期していなかったからであります。そしてさらに、キール市が15年前からヒロシマ公園において、毎年8月6日に広島と長崎の原爆犠牲者のために平和式典を開催しているということを聞いたとき、私の驚きは感動に変わりました。

     正直に申し上げまして、大部分の日本人はこのような事実をまったく知らないでいる、ということを私は告白せざるをえません。私は、キール市民の皆様に心から感謝するために、キールに来ることを決断いたしました。ピースポールによって、ささやかではありますが、私たちの感謝の気持ちを皆様にお伝えしたいと思います。

     さて、皆様もご存じのように、広島と長崎は1945年に原爆によって完全に破壊されました。 日本の敗戦を確定したこの出来事は、日本人にとって大きな痛みに満ちた事件でありました。この出来事を通して日本人は、戦争と核兵器のない平和な世界を希求いたしました。戦後の日本では多くの平和運動が生まれ、その際、両都市はいわば平和の巡礼地となりました。

     「世界人類が平和でありますように」という祈りを世界的に広めているWorld Peace Prayer Societyも、戦後生まれたそのような平和運動の一つです。この運動の提唱者は、日本の詩人で哲学者である五井昌久氏です。彼は兄弟と数多くの友人を戦争で喪いました。彼の妻は広島出身ですが、家族のすべてを原爆で喪いました。

     五井氏は終戦直後、すべての人々の平和への願いを一つに結集するために、この平和の祈りを提唱しました。彼は、心の平和なくして世界の平和はありえない、と考えました。彼は21年前に他界しましたが、彼の思想は日本ばかりではなく世界中で多くの賛同者を見出しております。

     World Peace Prayer Societyは、彼の平和運動を推進するために、約15年前にニューヨークで設立されたNGOであります。

     この平和運動にはフラッグセレモニーとピースポールという二つの重要な活動があります。 フラッグセレモニーは、人類は一つであるという心を深めるための行事です。1990年には、ニューヨークの国連本部総会議場でフラッグセレモニーが開かれました。昨年2000年9月には、東京の「平和の文化創造のための2000年祭」の中で、フラッグセレモニーが開かれました。この行事は、日本の文部科学省、外務省、ユネスコ本部、国連大学の後援を受け、87カ国の在日大使と大使代理が出席し、1万人以上が参加しました。

     ピースポールは、各国語で「世界人類が平和でありますように」という言葉が書き記されたポールです。ピースポールは無言の祈りとして、私たちに常に平和を意識させるという働きをいたしております。すでに170以上の国に20万本以上のピースポールが建立されております。

     私は友人たちとともに9年前から、毎年8月6日に広島でフラッグセレモニーを催しております。今年のセレモニーは数時間前にもう終わってしまいましたが、広島の友人たちは、キールでも8月6日にフラッグセレモニーを開いてくれるということをたいへん喜んでおります。

     キール市民の皆様の平和を求める心を、広島の市長と市民の皆様にお伝えすることを約束いたしまして、私の挨拶を終えさせていただきます。ありがとうございました。

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